前夜

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栄光の前夜

 

私はアイチュウがリリースしてから比較的すぐに始めた、ユーザーとしてはいわゆる「古参」なのと、作品鑑賞の早い段階で「作家買い」のルートに行くタイプなので制作もとの特性に注目しがちです。

なのでアイチュウをメタ的な視点で楽しんでる所は多いし、一方でアイチュウは生身の人間だと思ってるし実在すると思ってる…自分でも混乱した楽しみ方をしているので一概に「〇〇視点でみています」みたいなものが出てこないユーザーなわけですけれども。

作家や製作元への信頼感って、表現制作の世界においてかなり還元率がいいというか、作家に撃ち返るものが多いだけ楽しむ側にもリターンが多く返ってきて循環していくための大事なピースだと思ってます。

私はアイチュウをプレイしてて、リベルさんのものづくりガッツにビジネスしてる企業としての力のほかにものづくりガッツを感じてて、そこが一番ラブポイントなので、アイチュウという物語のブランドを信頼してると言えます。

なので、極端な話3部の展開に不安が爆発した事がないんですよね。

途中まで豪ちゃんがスパイ容疑かけられてたのはI♡Bのオタクなので大丈夫かなーと思いつつ、「まあアイチュウだから大丈夫だ」という気持ちでみてしまってました。

3部超おもしろくて、1・2部があったからこそ深みが増し感動できて、おもしろい!と喜べる最高にユーザーへのリターンが大きい素晴らしいエンタメです。なんでここまでおもしろくなっちゃったのかニヤニヤしてしまう。

けどその楽しみ方の中に、ツイッターランドのアイチュウファンの皆が抱える今後の展開への不安とかキャラクターへの愛憎の感情は、そんなになかったんですよね。

エンタメを楽しむ時、感情ぐちゃぐちゃになって無我夢中で楽しめる…って、一番ピュアで正しい楽しみ方じゃないかな?と思います。

私は、「アイチュウという物語への信頼」を大きくすると同時に、「アイチュウという物語、コンテンツ」を無下にしていたのでは?という気持ちがとても強い。

 

持病とか、年齢とか(これあんまり関係ないと思うけど…)環境の変化などで私自身も日に日に変化してます。なので、感情の起伏や感動する心が乏しくなったなというのは、寂しいけど生活全般に言えるなと思う。

その中でアイチュウに対しても無感動になっていくような感覚が顕著にみえたのが3部で、私は私なりに闘いをしていたなと思いました。

3部完結。

するらしいので…。「3部完結」して、物語に1つ区切りがつきます。

けどアイチュウ達は同じ、地続きの、土台は今日や過去であるその時間をずっと生きていくし、私達もアイチュウと同じ時間の流れの中で同じ今日を土台にした明日を生きていきます。

だから3部が終わるからといって全てが解決しないし、すべては何かと引き合う、万有引力の物事なのだろうなと思う。

2部が終わって、アルケミが仲間として馴染んできた中でも、黒羽さんへ「許すことができないと思う」という気持ちを隠し持って1人闘っていた人がいるような、そんな世界なので。

 

アルバム、神セトリって感じですごいいいですね なんか耳馴染みが違うんだけどミックスとか変わった?

音楽にロマンをしこたま抱えて生きているので、音楽が歴史を物語るっていうのはとても素敵だなと思う。「貴方と私の永久理論」の原稿でもそういう事を言いたかったんだけど、「音楽は死なない」と思うので。

音楽だけじゃないけど、人が語り継げばそれは死なないと思う。その中でも音楽っていうのは、人が得ている原始的な文化だと思うから、そう簡単に死ねないって思う。

人が人を忘れる時に一番に忘れるのが声らしいのと同時に、音楽っていうものはなかなか死なない このアンバランスさの中にI♡Bもいてほしいなと思うなあ。

 

後日同人についてのお知らせとか少しします。またよろしくお願いします。